次の進路が決まりましたので、その報告になります。
結論から書くと、エンジニアとして7月から京都で働くことになりました。そこに至るまでの経緯や途中の思考プロセスなどを書いていますので、興味があれば読んでみてください。
ずいぶんと長い間、木工との付き合い方に悩んできました。1年以上はずっと悩んでいたと思います。卒塾まで後回しにしていたものの、結局卒塾後にも悩むことになりました。悩んだまま次に進むことはできず、過去を遡って自問自答をしていきました。
森林たくみ塾に入塾した当時は、「木工製品を作って自分の作品を自分の EC サイトに公開して、販売していく」ことが目的でした。木工製品を作る技術を身につけることができれば、クオリティはともかく次に進めると考えていました。技術を身につけて、愛着を持てる製品を開発して、それが売れるように改善行動を続けていこう、と考えていたのです。
これはまさしく森林たくみ塾に入る前の前職でやってきた仕事そのものでした。前職では「ファンを増やす」「使いやすいシステムを構築する」「改善を数値化する」という課題にエンジニアとして取り組んでおり、作っているプロダクトにこそ思い入れはありませんが、仕事としてはとても楽しいと感じていました。そこで自分だけのプロダクトを作り、ライフワークとして取り組もう、当時はそのように考えていました。
こうした野望を持って入塾したわけですが、業界について、仕事について、経営について学べば学ぶほど、問題もたくさん浮き彫りになりました。
入塾前は無垢の家具に絶対的な価値観があると信じていましたが、木工を学んでいく上でそうではないことを知りました。ユーザー目線で考えた時に軽量であることや分解できること、低価格であることなどがメリットとして捉えられ、無垢の木であることを求める消費者は少数であることを知りました。
余談ですが、これと同じような問題はどの業界でも起きているんだと感じます。コストカットの思考が強まり、無駄を省いていく中でコモディティ化が進み、オーバースペックな技術が淘汰されてしまう。業界にお金が流れるような仕組み作りすることが求められているなと感じており、後述しますが、それは当事者を巻き込んだ、第三者的なプレイヤーに任せるのがよさそうです。
とにかく、自分はどこをターゲットにどういうスタンスでものを作るのか。売れる製品をプロデュースしたいのか芸術家として自分を表現したいのか。生活の中で使えるものを作りたいと思っていても、生活自体が破綻していては作りたいものも生まれてこない状態でした。
多種多様な製品・作品に出会い、正解はないんだなと思いつつも、じゃあ私は何を作るの?何に問題意識を持っているの?といった質問には答えを窮していました。
製品を開発するということはこうした問いに対する自分のスタンスを表明することでもあり、それを考えた時にすっと言語化できるものがありませんでした。少なくとも、すぐに独立して何かを作ることは難しいと感じ、そこには自己表現したいという自分のエゴ以上のものが感じられませんでした。
初めから作りたいものが決まっているケースの方がレアなことは重々承知していますが、生活を支えながらそれを模索していくというのはかなり難易度が高いと感じました。試行錯誤を積み重ねて、少しずつそれを体現している人もいて、そこに対する情熱や努力はリスペクトしかありません。
2年間の無収入状態の生活を続けていく中で経済状況はもちろん悪化するので、当面は就職して、生活基盤を安定させる必要があります。そのために木工就職を選択するのが一般的な卒業後の進路です。
ただし、その選択肢は非常に限られたもので、働く地域や給与待遇、どのような製品制作に携わるかなどをすべて満たすのはかなり難しいです。多くの場合は次の勤務先の業務に従事する中で木工の幅や技術を深掘りしながら、独立に向けた資金や製品開発を進めていくということになります。
また、現場に求められるのはスピードと技術であり、それ以外のスキルというのは基本的に見られないと感じました。(自分が独立して人を雇うことを考えると当たり前ですが。)私は手が遅い方であったので、単純に生産能力だけを見ると価値を出すことは難しいのです。
一方、木工職を続けることの最大メリットは木工業界の関係が手に入れられることであり、その恩恵を得て独立に向けた設備投資や製品開発につながるアクション、技術向上などが見込めるかということが次の進路を決める上で大切になると感じました。
以上のようなことを考えながら、木工就職を検討していましたが、不確定材料があまりにも多く、適正も客観的に判断してないことが最終的な決定を後押ししました。単純に言えば、自分が不得意としていることを仕事としてやっていくのは将来のためと捉えたとしても、不幸なことだと考えたのです。そのことに気づいたのは、自分の心では違和感を無視して、木工職を続けるべきだと自身に説得していたからです。
そんな中、ひとつのキャリアの在り方としてとても参考になったのが技の環の存在です。
技の環は伝統技術が失われていくことに対して問題意識を抱えており、現場が抱える問題を第三者的に介入し、問題解決を試みる組織です。森林たくみ塾の卒業生で、森林文化アカデミーの教員でもある久津輪さんが設立されました。
技の環の設立の経緯でも明記されていますが、業界が抱えている課題というのは個人レベルでの解決は無理があります。業界に詳しい人が仲介となり、問題を周知する活動が重要になります。
こうした領域でこそ、私がこれまでやってきたことが活かせるし、やりたいこととも合致していると感じました。なによりエンジニア・木工経験の両方のバックグラウンドが活かせると考えたのです。
やはり、2年間やってきた木工業界を離れるのは寂しいと感じています。悩んでいることを伝えた時には多くの人から大丈夫だよと声をかけてもらったのもあり、心苦しさも感じています。木工の道に進んだ時に応援してもらったので、その方たちにも後ろめたさもあります。
ただやはり、私が木工を仕事としてできる貢献はかなり小さいものになるだろうし、なにより自分自身がそこに満足できるとは思えなかったというのが今の正直な気持ちに一番近いです。
私はキャリアを決めるに当たって、常に「どうなっていたいか」で考えています。それは昔から一貫して「自然に囲まれた環境で豊かに生活しながら仕事をしたい」というもので、高山への移住は自然に囲まれた環境での生活の試験的な取り組みでもありました。
また、これまで仕事に偏った生活をしていた私にとって、生活にフォーカスしてみる取り組みでもあったはずですが、蓋を開けてみれば仕事で悩むことばかりとなってしまいました。仕事を軽視していた私にとって、仕事ができるという自己肯定感、やりたいことが実現できているという満足感などを改めて考え直す機会にもなりました。
こうした観点から見ても、まずはエンジニアとして生活基盤・キャリアを安定させること。木工は人生のもう少しあとのフェイズで、小さくものづくりを始められればなと今は考えています。(大きな野望もありますが、それは今後の話ということで)
エンジニア業界の求人の多くは人材派遣や各業種の業務システムを開発する案件が多い中、木工業界に関われるような求人を探していましたが、そういった求人はありませんでした。
しかし、そんな中でも私が志向するキャリアにピッタリだと思う企業と出会うことができました。その企業は農業に問題意識を抱えており、第三者的なプレイヤーとして業界の問題解決に取り組んでいます。企業理念もオークヴィレッジに通じるところがあり、そうした親近感も感じ7月から働くことになりました。おもしろい企業だと思うので、気になる方は直接聞いてください。
今は京都で改めてエンジニアとして生活を進める準備を進めていますが、やはり木工業界を離れてしまうと木に触れる機会も激減してしまうなと痛感します。特に京都のような人口密集している地域に住むと、DIY のような付き合い方ですらハードルが上がってしまいます。
少し寂しさは感じますが、当面は新しい生活を立て直すことに専念したいと思います。